「100年の歴史を、和歌山から」
100年という歴史は、一朝一夕に築けるものではありません。
時代が変わっても信頼を積み重ね、技術を磨き、人を育て続けてきたからこそ、淺川組は今日まで歩み続けてきました。
2025年、世界が注目する大阪・関西万博フィリピンパビリオンの施工というプロジェクトにも挑戦し、その技術力とマネジメント力を国内外へ発信する機会となりました。
今回、池内茂雄会長に、プロジェクトへの挑戦、100年企業として受け継いできた想い、そして未来を担う従業員への期待について語っていただきました。
和歌山から全国に展開する建設会社

まずはじめに、淺川組が和歌山において、どのような存在であろうとしてきたのか。会社として大切にしてきた軸を教えてください。
淺川組には、100年以上にわたって建設業を続けてきた歴史があります。
現在は、東京、大阪に支店を置き、千葉、茨城、広島と福岡にも営業所を構えています。
以前は青森から沖縄まで、全国津々浦々に事業所がありました。
100年以上の歴史を持ち、長年にわたり和歌山に根を張りながら、全国で事業を展開してきた会社としての誇りがあります。地域を代表する企業としての責任も強く感じていますね。
その中で、会長は普段、どのような役割を担っていらっしゃるのでしょうか。
会社の方針や目標を社長と一緒に示しながら、私はどちらかというと対外的な役割を担っています。
和歌山の地域経済の発展にも携わらせていただいておりますので、経済界と幅広いネットワークがあります。また建設業協会や商工会議所、建築士会などで、理事や会長を務めさせていただいています。重要な顧客や案件の際に信頼関係を築くため、私が赴き、話をさせていただくことも多いですね。
「万博への参画を決めた日」


「やろうやないか。」二つ返事だった
2025年、大阪の夢洲で大阪・関西万博が開催されました。淺川組は、フィリピンパビリオンの施工を担当しています。
そもそも、どのような思いから参画を決断されたのでしょうか。
お話をいただいたとき、私は二つ返事で「やろうやないか」と答えました。
その理由は、先ほど申し上げたように、和歌山県を代表する建設会社としての自負があったからです。
また世界的なイベントに参加できることは、会社にとって大きな誇りになりますし、信用の拡大にもつながります。
淺川組は、1970年に開催された大阪万博の閉会後、会場活用整備の一環としてプールの施工に携わった経験があります。
再び関西で世界的な一大イベントが開催されると決まったときには、なんとしても参画し、世界の万博の成功に貢献したいという思いがありました。
フィリピンパビリオンの施工のお話は、どのような経緯で来たのでしょうか。
西尾レントオール様から、お話をいただきました。
パビリオン建設に関して、当初複数の案件をご提案いただき、そのなかで、フィリピンパビリオンに決めました。
複数案件となると各関係者の負担が大きくなってしまうと考えての判断でした。
複数案件を施工する力がないということではなく、全体を見て判断されたのですね。
もちろん、施工できないわけではありません。
ただ、実際に工事を行うには、協力会社の皆様や技術者の力が必要です。会社全体の負担やリスクを考え、無理をするのではなく、確実に責任を果たせる範囲で引き受けようと判断しました。
西尾レントオール様が設計のサポートと、木材を中心とした資材の調達を担当し、淺川組が施工を担う体制でプロジェクトは進めることができました
フィリピンパビリオンは木造建築です。淺川組が紀州材を用いた施工などで培ってきた技術や経験を活かせる建物でもありました。
想定したリスクと、それでも進めた決断


実際に参画が決まったときは、どのようなお気持ちでしたか。
もちろん、うれしかったですよ。
さらに世界が注目する舞台でこの工事を成功させることにより会社の信用として、そして従業員の経験として必ず残ります。弊社が今後も発展していくために挑戦したいと考えました。それほど、このプロジェクトに参加することには大きな価値があると考えていました。
非常に大きな決断だったと思います。リスク面で想定されていたことはありましたか。
一つは、海外が関係する工事は弊社にとって初めてでしたから、契約や商習慣の面で、日本国内と同じ進め方が通用するとは限らないという点です。何が分からないのかも分からない、という状態からのスタートでしたね。
もう一つは工期です。万博は開幕日が決まっているため、絶対に工期を守らなければなりません。本当に間に合うのかという心配はありました。
そうしたリスクがありながらも、挑戦を決断できた自信は、どこにあったのでしょうか。
弊社には、失敗を恐れず挑戦する風土と、一度引き受けた仕事は最後まで責任を持ってやり遂げる文化が根付いています。どんな問題が出ても逃げずに対応すれば、必ず成功させることができるという自信がありました。
また長年培ってきた財務基盤があったことは大きいです。健全な財務基盤は守りのためだけでなく将来に向けた挑戦のためでもあると私は考えています。
リスクは十分に見極めたうえで、万が一大きな損失が出たとしても、それ以上に会社の信用や、従業員の経験として得られるものが大きいと思い、挑戦を決断しました。
海外初挑戦という壁


すべて英語で交わされた契約書
契約は、どのように進められたのでしょうか。
海外案件の契約は、条文の一つひとつが持つ意味が国内とは異なります。自社の判断だけで進めるべきではないと考え、顧問弁護士に精査を依頼し、修正すべき点は交渉のうえで反映していただきました。
分からないことを分からないまま進めない。専門家の力を借りてでも、確認すべきところは確認する。これは、初めての領域に挑むときの鉄則だと思っています。
フィリピン側では、フィリピン政府と現地建設会社が契約関係にあり、日本側では私たちが直接契約を結んでいました。国をまたぐプロジェクトですから、契約や手続きの考え方にも違いがあります。関係者も多く、それぞれの役割や責任範囲を確認しながら、慎重に調整を重ねていきました。
営業を担当していた玉井主任も、社内に国際的な契約の経験を持つ人がおらず、手探りでのスタートだったと振り返っています。
そうですね。契約がまとまらなければ着工が遅れ、工事に充てられる期間が短くなってしまいますし、だからといって契約内容を十分に確認せず進めることもできません。
海外との契約は初めてでしたから、一つひとつ慎重に確認しながら進める必要がありました。そのあたりは、本当に苦労したところですね。
「間に合わない」と言われていた頃
当時、メディアでは「万博の工事は間に合わないのではないか」という報道が相次いでいました。
会長ご自身は、不安を感じていらっしゃいましたか。
淺川組は比較的、早い時期に決断したため、早い段階で工事に取りかかることができました。
また、現地に派遣している技術者の力も信頼していましたので、淺川組の力をもってすれば、まず大丈夫だろうという自信がありました。
実際には、工事が遅れている他国のパビリオンもありましたが、淺川組の現場は、所長を中心にチームがしっかりと工程を管理してくれましたので、着実に工事を進めることができましたね。
チームで発揮した「技術力」


淺川組のチーム力は、どこから来ているのか
従業員の皆様に「なぜ淺川組だからやり遂げられたのか」と伺うと、必ず「チーム力」「柔軟さ」「粘り強さ」という言葉が返ってきました。
経営者として、そのチーム力はどこから生まれているとお考えですか。
それは、経営理念のもと、培ってきた技術力と、より良いものをつくるために惜しまない努力、そして日頃からのコミュニケーションによって育まれてきたものだと思っています。
淺川組の経営理念は、「お客様の喜びと、従業員の物心両面の幸福を追求し、社会の発展に貢献する」というものです。
その理念を実現するためには、技術と品質、そして誠実な対応によってお客様の信頼を積み重ねる「誠実施工」と、健全かつ公正な取引を通じて、ともに社会の発展に貢献する「共存共栄」、いかなる環境でも、時流にあわせて堅実に進歩発展をし続ける「堅実経営」の考え方が大切だと考えています。
そうした理念があるからこそ、「より良いものをつくり、社会に貢献したい」という共通の思いが従業員の中に育まれます。現場では、その思いを形にするため、部署や立場を超えて技術的な議論を重ねる文化が根付いています。
今回の施工でも、その文化が発揮されました。
フィリピンパビリオンは、フィリピン側で設計された建物です。日本の法令や気候条件は当然ながら設計時に前提とされているものとは異なります。
入口部分には大きく張り出した庇があります。私も建築士ですので、設計図を見た瞬間に「あの庇は、強い風が吹いても大丈夫だろうか」と感じました。そこで弊社の設計担当に検証してもらったところ、やはり補強を検討すべきという結果が出ました。
そのことは先方にもお伝えしたうえで工事を進めていましたが、実際に強風の日に庇の一部が外れてしまいました。
設計そのものに踏み込んで検証されたのですね。
しかし、そこで立ち止まっているわけにはいきません。
図面どおりに施工するだけなら、それは施工会社の仕事としては十分ではありません。
その結果を設計者側にもお伝えし、設計・構造・施工の各担当者が集まって、どう補強するのが最善かを議論しました。工程への影響は決して小さくありませんでしたが、全員で知恵を出し合い、安全性を確保したうえで工期にも間に合わせることができました。
一つの課題に対して、各分野の技術者が集まり、意見を出し合ったのですね。
淺川組では、日頃から部門を越えて連携しています。
「図面どおりにできているか」だけでなく、「これで本当に安全か、品質を満たすか、満足してもらえるか」を全員が考える。そうした日常の積み重ねが、今回の大きな力になったのだと思います。
大手に負けない「全体を見る目」


今回のプロジェクトを通して、あらためて感じた淺川組の強みはありますか。
私は、淺川組の技術力は大手の建設会社にも決して負けていないと思っています。
弊社では、大手の建設会社とJV、つまりタッグを組んで工事を行うことがあります。そうした現場でも、「淺川組の技術者が一番力になってくれた」と評価していただくことが多いんです。
どこの現場へ行っても、褒めていただきますね。
大手の建設会社では、鉄骨工事、コンクリート工事、内装工事と、担当が細かく分かれている場合が多くあります。
一方、淺川組の技術者は、杭打ちから完成まで、工事全体を見ながら現場を管理します。現場に配置された一人ひとりが、常に全体の流れを把握しているんです。
そのため、JVの現場へ弊社の技術者を派遣すると、非常に喜んでいただけます。
中には、「この現場は、淺川組さんがやってくれたようなものです」と言ってくださる方もいます。
そうした「幅広い技術や対応力」は、どのように培われてきたのでしょうか。
やはり、先輩から受け継いできたものだと思います。
それと、30歳で作業所長になれる力を身につけるのをサポートする「30歳プログラム」などの教育プログラムもあり、人を育てる中で、現場の管理方法や工事全体を見る視点を、一つひとつ教えていく。
それが、淺川組における技術の継承なのだと思います。
現場で働く技術者をどのように見ていたのか
万博会場は4つの工区に分かれていました。
フィリピンパビリオンが位置する北東工区では、工区を統括する大林組JV様を筆頭に、30社を超える施工者が毎週一堂に会し、工事の調整を行っていたそうです。
現場で働く従業員の姿を、経営者としてどのようにご覧になっていましたか。
現場所長の泉は非常に優秀な技術者です。そうした力を評価して、万博の現場へ派遣しました。
日頃から対応が早く、物事を迅速に進められる人物ですので、むしろ私は心配していませんでした。安心して送り出せましたね。
工区内では、「資材は何日までに搬入してください」「この日は、このルートを使用しないでください」といった、さまざまな制約があったと思います。
その一つひとつを泉所長がきちんと整理し、現場を進めてくれたのでしょう。そこは、彼の素晴らしいところですね。
従業員の熱意は、どこから来るのか


「この工事をやってみたい」と思う心
現場の皆様にお話を伺うと、西尾レントオール様からのお話が来る前から、「万博の仕事に関わってみたい」と思っていた方が多くいらっしゃいました。
こうした前向きな熱意は、会社として意識的に育てているものなのでしょうか。
大きな工事があると、技術者というものは、「この工事をやってみたい」と思うものです。
そういう挑戦する気持ちは誰もが持っていると思います。
その思いが、今回の万博にもつながったのでしょうね。
また、淺川組の歴史も大きく関係していると思います。
和歌山県内の主だった工事には、これまで淺川組が数多く携わってきました。
「あの建物は淺川組が建てたよね」「あの工事は淺川組が担当したよね」と言っていただけることは、本当にうれしいことです。
従業員も、そうした仕事に誇りを持ってくれていると思います。
技術者として新しいことに挑戦したいという気持ちと、歴史ある淺川組の一員であるという誇り。その両方が先輩から後輩へ受け継がれ、自然と会社の風土になってきたのではないでしょうか。
私は、その積み重ねが、従業員一人ひとりの熱意につながっているのだと思っています。
長い歴史を持つ組織や企業ほど、挑戦する空気を保ち続けることは難しいようにも思います。組織として挑戦意欲を保ち続ける秘訣を教えてください。
私は、会社が安定した経営基盤を持っていることと、常に進歩・発展を目指す姿勢、その両方があってこそ挑戦ができるのだと思っています。
また、淺川組は、「お客様に喜んでいただける仕事、満足してもらえる仕事」をすること、「従業員一人ひとりが『淺川組で働いていて良かった』と実感できる会社」、そして「100年、200年と発展し続ける会社」を目指しています。
安定した経営を土台としながら、時代の変化に合わせて挑戦し続ける。その姿勢を大切にしてきたからこそ、従業員一人ひとりの挑戦意欲も自然と育まれてきたのではないでしょうか。
万博がもたらしたもの


「えっ、淺川さんがやっているのですか」
万博への参画を終えて、実績や信用という面では、どのような変化がありましたか。
万博への参画が与えたインパクトは、やはり大きかったですね。
和歌山県内のお客様には、淺川組が万博のパビリオンを施工していることを、ある程度知っていただいていました。
一方、県外の全国的な企業へ営業に伺い、「実は大阪・関西万博のフィリピンパビリオンを施工しているんです」とお話しすると、「えっ、淺川さんがやっているのですか」という反応も多く、各方面から反響をいただき、その影響の大きさを実感しました。
特に印象に残っている出来事はありますか。
私も所属している和歌山商工会議所で、万博の見学会が2回ほど行われました。
参加された方から、「淺川組さんが施工されたフィリピンパビリオンを見てきました。とても良かったですよ」と声をかけていただきました。
淺川組が手がけた建物を実際に見て、そのように言っていただけるのは、やはりうれしいものですね。
4回訪れた、フィリピンパビリオン
会長ご自身も、完成したフィリピンパビリオンをご覧になったのですね。
もちろんです。万博には4回足を運びました。
フィリピンパビリオンの隣には大きなアメリカ館がありましたが、建物としてのインパクトは、私の中ではフィリピンパビリオンの方が強く印象に残っています。
デザインが非常に特徴的でしたし、少し離れた場所にはフランス館もありましたが、それでも「やっぱりフィリピンパビリオンはいい建物だな」と感じました。
訪れるたびに「本当に良い建物だ」と感じましたし、その建設に淺川組が携われたことを、とても誇りに思っています。
これからの淺川組


守りたいのは、従業員とその家族の暮らし
万博を経て、これから淺川組は、どのような会社でありたいとお考えですか。
基本的な考え方は、これまでと変わりません。
私が何よりも大切にしたいのは、従業員とその家族、お客様や協力会社をはじめとするステークホルダーの皆様が健康で安全に、幸せな生活を送れることです。
もちろん、幸せは経済的な豊かさだけではありません。しかし、安心して生活できる環境をつくることは、会社の大切な役割だと考えています。
そして、一人ひとりが安心して働けるからこそ、お客様や地域社会への貢献にもつながっていくのだと思います。
技術と挑戦を、次の世代へ
技術や、挑戦する姿勢を、これからどのように受け継いでいきたいとお考えですか。
私の時代は、先輩から「これはこうするんだ」「次はこうするんだ」と、目で見て、耳で聞いて、直接教わりながら技術を受け継いできました。
しかし今は、技術の進歩が非常に速い時代です。
だからこそ、会社として従業員が学び、成長できる環境をつくっていかなければならないと思っています。
先程も述べましたが、淺川組では、土木・建築ともに、8年で作業所長になれるプログラムを作成しています。例えば、「入社3年目には、ここまでできるようになろう」というように、一人ひとりの成長段階に合わせた教育を行っています。
これからは、ITやAIなど、新しい技術や知識を積極的に取り入れていくことも欠かせません。
OJTだけでは、もう通用する時代ではありません。会社が責任を持って学ぶ機会をつくり、一人ひとりの成長を支えていくことが大切だと思っています。
そうして培った技術や挑戦する姿勢を、次の世代へしっかりと受け継いでいきたいですね。
和歌山で果たしたい役割


地元・和歌山に対して、淺川組が果たしていきたい役割とは、どのようなものでしょうか。
和歌山を代表する建設会社として、県を象徴するような建物や、橋梁などの土木工事を手がけていきたいですね。
もちろん、公共工事は入札ですから、必ず受注できるとは限りません。
それでも、「この工事は淺川組にしかできない」と言っていただけるような仕事に挑戦していきたいと思っています。
完成した建物や建造物を見た地元の方々に、「やっぱり淺川組やな」と言っていただける。そんな仕事を、これからも続けていきたいですね。
これから入社する若い人たちへ
これから淺川組に入社する学生や若い方に、ここで働く魅力をどのように伝えたいですか。
淺川組は100年以上の歴史を持つ会社です。その歴史の中で積み重ねてきた技術や信頼を受け継ぎながら働けることは、大きな誇りになると思います。
技術力についても、和歌山ではナンバーワンだと自負しています。資格を持つ従業員の数も県内では非常に多く、高い技術力を持った従業員が数多く活躍しています。
これから入社される皆様にも、先輩たちが築いてきた技術や誇りを受け継ぎ、さらに自分たちの力で新しい歴史をつくっていってほしいですね。
そうした積み重ねがあるからこそ、淺川組には他社にはない強みと価値があると思います。その強みに磨きをかけながら、これからもお客様に必要とされる会社であり続けたいと思っています。
そして、今後また世界が注目するような舞台があれば、積極的に挑戦していきたいです。皆さんにもそういう気持ちを持っていてほしいですね。
支えてくれた人たちへ
今回のプロジェクトを支えた従業員の皆様、そしてそのご家族に、経営者として伝えたい言葉はありますか。
やはり、感謝ですね。
淺川組には、非常に真面目でどこの現場でも信頼されている従業員がたくさんいます。一つひとつの仕事に誠実に向き合い、お客様や地域の皆様から信頼を積み重ねてくれていることを、本当に誇りに思っています。
そして、従業員が毎日安心して仕事に打ち込めるのは、家庭で支えてくださるご家族の存在があるからです。従業員だけでなく、そのご家族にも心から感謝しています。
建設の仕事は決して一人ではできません。
会社の仲間はもちろん、ご家族の支えがあって初めて、一つの建物や道路、橋が完成します。そういう意味では、ご家族も淺川組の仕事を支えてくださっている大切な存在だと思っています。
これからも、従業員一人ひとりが仕事に誇りを持ち、ご家族にも「淺川組で働いていて良かった」と思っていただける会社であり続けたいと思っています。
淺川組は人生そのもの


最後に、会長にとって淺川組とは、どのような存在でしょうか。
私は人生のほとんどを淺川組とともに歩んできましたので、人生そのものと言ってもいいのかもしれません。
本当に良い先輩に恵まれ、良い部下にも恵まれました。多くの人に支えられながら今日まで歩んでこられたことを、とても幸せに思っています。
従業員の皆様からは、「自分の可能性を試し、高め続けられる場所」「単なる仕事の場ではなく、何かを成し遂げられる場所」という言葉を聞くことがあります。
そう言ってもらえるのは、本当にうれしいですね。
終わりに
100年という歳月は、記録の長さではありません。
一つひとつの現場で信頼を積み重ね、技術を次の世代へ手渡してきた。その連なりが、今の淺川組をかたちづくっています。
大阪・関西万博フィリピンパビリオンへの挑戦も、その歩みの中の一歩でした。
海外が関係するプロジェクト、前例のない構造、動かせない開幕日。決して平坦な道のりではありませんでしたが、部署や立場を越えて集まり、知恵を出し合う。
長い時間をかけて育ててきた私たちの仕事の仕方が、そのまま力になりました。
お客様の立場に立って、誠実に仕事を積み重ねること。従業員とその家族が安心して暮らせる会社であり続けること。
この二つは、創業から今日まで、私たちが手放さずに受け継いできたものです。
技術を磨き、人を育て、地域に貢献する。
変わらぬ姿勢を土台に、変わりゆく時代へ挑み続ける。
和歌山から、全国へ。そして世界へ。
次の100年も、その歩みを止めることなく進んでまいります。

