世界が集まる
舞台を支えた
和歌山県から世界へ。
淺川組の技術と情熱が、未来をつくる。

TOP MESSAGE

100年の歴史を、次の挑戦へ。

100年以上にわたり技術と信頼を積み重ねてきた淺川組。
その歩みの先にあったのが、大阪・関西万博フィリピンパビリオンへの挑戦でした。
なぜ世界が注目する舞台へ踏み出したのか。そして、次の100年へ何を受け継いでいくのか。池内会長が、その想いを語ります。

PROJECT OUTLINE

世界が集まる舞台を、どうつくったのか。

1970年の大阪万博から55年。再び関西で開かれる世界的な舞台に、淺川組はフィリピンパビリオンの建設という形で挑みました。

限られた敷地、絶対に動かせない開幕日、そして「仮設の外部足場を建物の構造体として使う」という前例のない設計。さらに、国境を越えた設計チームや、100社を超える施工者との連携が求められる現場でした。

西尾レントオール様とのJVをはじめ、多くの企業・技術者と力を合わせながら、一つの建築物を完成へ導いた淺川組。

何を建て、誰と組み、どのような体制で世界が集まる舞台を支えたのか。フィリピンパビリオン建設プロジェクトの全体像をご紹介します。

スクロールできます

初めての海外契約。その舞台裏にあったものは、英語で届く契約書、変わり続ける条件、前例のない海外案件。
営業担当の玉井は、現場から少し離れた場所で何を考え、どうプロジェクトを支えたのか。

契約から開幕の日まで。営業の視点から、万博プロジェクトの舞台裏をたどります。

一枚のパースを、数字から建物へ。何でできているのかも分からない外観、前例のない構造、そして工事中も続く設計変更。
積算担当の稲田は、限られた情報の中で数字を組み立て、現場の判断を支え続けました。

一枚のパースから完成まで。積算の視点から、万博プロジェクトの舞台裏をたどります。

動き続ける現場で、開幕の日をどう守ったのか。前例のない構造、決まりきらない仕様、100社以上が同時に動く万博会場。
現場所長の泉と構造設計の吉田は、何度も工程を組み直しながら、開幕という一点を守り抜きました。

着工から完成まで。現場と構造設計の視点から、万博プロジェクトの舞台裏をたどります。

FUTURE

万博という大きな挑戦を支えたのは、100年以上にわたり受け継いできた理念と技術、そしてともに歩んでくださった多くの人たちでした。
フィリピンパビリオンはすでに姿を消しました。しかし、そこで得た経験、人とのつながり、社員一人ひとりの成長は、これからの淺川組に残り続けます。
和歌山から全国へ、そして世界へ。この挑戦で得たものを次の100年へつないでいきます。