施工・設計が語るストーリー– PROJECT STORY –

突然の指名からの「万博プロジェクト」

建設用足場が、そのまま建物の外観になる。フィリピンパビリオンは、そんな前例のない発想から生まれた木造建築です。
設計情報も仕様も動き続けるなか、100社以上が同時に動く会場で、開幕という一点をどう守り抜いたのか。現場所長を務めた泉と、施工者側の構造技術者として参画した吉田が、着工から解体までを振り返ります。

MAIN SPEAKER

泉 雄輔

作業所長

吉田 敏基

構造設計

「万博」と聞いても、最初は実感がなかった

記者

まず、このプロジェクトに関わることになった経緯から伺わせてください。現場所長として声をかけられたのはいつ頃でしたか。

泉所長

2024年2月27日です。「ある日突然」という感じでしたね。

記者

最初は驚かれたのではないですか。

泉所長

正直に言うと、あまりピンと来ませんでした。「万博」と言われても、自分にとってそれほど身近なものではなかったのです。いちばん近い愛知万博にも行っていませんし、その前となると1970年の大阪万博ですから。お話をいただいた時点では詳細な設計図もまだ無く、完成までのイメージが持てなかったというのが実情でした。

記者

そこから、どのように気持ちが切り替わっていきましたか。

泉所長

まずは、すぐに夢洲の会場へ行き、現地を調査させていただきました。大阪湾の埋立地に広がる造成地に、これから世界中のパビリオンが建ち上がっていく。そう思うと、ようやく実感が湧いてきました。同時に、開幕までに必ず完成させなければならないという強い責任感も生まれたのを覚えています。

建設用足場がそのまま外観になる「前例のない構造」

記者

建物の特徴について教えていただけますか。

泉所長

フィリピンパビリオンは、会場のシンボルである大屋根リングの内側、北東部に建つ木造の建物です。テーマは「Nature, Culture & Community. Woven Together for a Better Future」。自然、文化、共同体。よりよい未来をともに織りなす、という意味です。Woven(織る)の名の通り、大きく張り出したキャノピー(庇 ※ひさし)と、ラタン工芸を思わせる装飾をまとった外観が特徴になっています。
ただ、この外観をつくっているのは、実は仮設の建設用足場なんです。
仮設工事で使う外部足場を、そのままファサード(建物正面の外装)の構造体として利用する。前例のない試みでした。

記者

なぜ、敢えてそのような試みに挑戦したのでしょうか。その理由を教えてください。

泉所長

設計者の意図は、万博のテーマでもあるリデュース、リユース、リサイクルにありました。建物を建てるには足場が要ります。普通なら建物が仕上がった時点で一度外し、解体のときにまた組み直し、また外す。今回は解体することが最初から決まっている建物ですので、それなら足場をうまく活用できないか、というアイディアでした。
実際、一度解体して再度組み立てる工程を省略できるため、スケジュール面でも費用面でもメリットはありました。

記者

吉田さん、構造設計の立場からは、これはどう映りましたか。

吉田次長

仮設材である足場を外装として活用するというのは、会期後の解体が前提となるパビリオンならではの考え方ですよね。私が加わったときにはすでにその前提で話が進んでいましたが、恒久建築物ではまず採用されないのでとても印象的でした。

泉所長

ただ、期間限定の建築物とはいえ確認申請は必要です。足場を建物の一部として構造計算に織り込み、ひとつの建物として申請許可が下りています。

施工の経験から引き出されたアイディア

記者

外装のスチールフレームの取り付けには、泉所長のアイディアが採用されたとお聞きしました。

泉所長

外装のスチールフレームは、現場着手前から不確定な部分が多く、予定時期に施工可能か不透明でした。設計図通りの大きさだと、敷地の外にクレーンを据えて取り付ける必要がありました。しかし万博会場内はランドスケープの舗装仕上げ工事の日程が周知されていて、重機を使える期間は限られています。そこで1ユニットを小さくし、ウインチ(巻き上げ機)だけで施工できるサイズへの変更案を提案し、施工計画の選択肢を増やすことでリスクの低減と工程調整の柔軟性を図ることができました。
調整の場面では、いろいろなパターンをこちらから提案することができました。それは、これまでの経験の引き出しがあるからだと思います。

記者

吉田さんは、展示物を吊るための部材の検討もされたそうですね。

吉田次長

はい。「ブドウ棚」と呼ばれる、舞台の上などで吊り物をするための格子状の構造です。どれくらいの重量を、どのスパンのどこから吊るのか。その情報をいただいて、「この部材でいけます」という部材の検討を行いました。設計事務所様から出てきた図面を拝見し、「大型モニターを設置するなら、ここに支持材が要りますよね」といったやり取りもしています。設計は先方のお仕事ですので、施工側として問題がないかを確認させていただく立場でした。

変化が激しい現場に、日々並走する

記者

当時、テレビやインターネットでは「万博は間に合わないのではないか」という報道が相次いでいました。現場に立つ方から見て、実情はどうでしたか。

泉所長

着工前の3月ごろは、建物の設計者と、内装展示の設計者が違うことで、別々に進んでおられる状況でした。着工の時点では「建築外側(箱)」の設計情報が先行し、内装展示はまだ進んでいなかったという状況です。同時に全ての設計情報が、手元になかったのが現状です。

記者

その状況は、工期に影響は出ませんでしたか。

泉所長

建築外側はある程度決まっていましたし、着工から開幕まで約1年ありました。工事量だけで見れば、その時点で「間に合わない」と思わなかったですね。
ただ、着工後も仕様が変更する状況は続きます。本当に常に状況が変化していきました。その中で変わりゆく現状と並走していく必要がありました。建物内部の展示側の施工会社様が7月頃に決まりましたが、詳細な部分は決まっていなくて本格的にすり合わせができるようになったのは夏、8月から9月ごろになります。

待つ時間を、次の準備に充てる

泉所長

「建築外側(箱)」がある程度できた時点で、工事を前に進めることが出来ない時期もありました。建物の中の展示物の多くは天井から吊る計画でしたが、内装展示業者が決定した時点で、吊る方法や吊り物重量を考慮した吊り物下地「ブドウ棚」計画とその吊り物下地や吊り物を設置することによる建物構造が維持できるかの検討について不確定な状態が続きました。その問題を解決するために随時アップされる展示計画の情報をもとに現場、本社建築部、弊社構造設計で協力してブドウ棚計画案を提案し、設計者や展示業者との協議を重ね、ようやく10月頃に仕様決定しました。その仕様が決定するまでは建物内部の大部分である展示スペースの工事を進めることができませんでした。その間は先行できる工種を洗い出して、後工程に回せる作業を前倒しするなどの工夫を行っていました。

記者

その間、実際の工程はどうされていたのですか。

泉所長

「いつまでにこれを決める必要がある」という一点は、設計者や展示側にギリギリまでお伝えし続けました。それでもクライアントが海外ということや関係者が多種多様ということで合意形成に時間がかかり、決め事に対してこちらの要望した日程が守られることはほとんどありませんでした。そのやり取りをしながら、できるタスクを滑り込ませていく日々でしたね。2024年の12月末に展示側へ現場を引き渡すという工程がありましたから、そこを守るために「ここまでに何をするか」と「どのように進めたら変更に対してフレキシブルに対応できるか」を肝に何度も工程を組み直していきました。

守るべきは「幹」の部分だけ

記者

工程の内容が動き続ける中で、何を基準に組み直していたのでしょうか。

泉所長

「絶対に外してはいけないところだけは守ろう」ということです。この部分が木で例えると幹の部分になります。
枝葉はいろいろありますが、幹の部分だけは絶対に守る。そこは常に意識していました。

記者

たとえば、どんなことが「幹」にあたるのでしょうか。

泉所長

わかりやすいのは大型車両の通行規制の話になります。
2024年10月中旬以降は場内道路の仕上げに入るため大型車両が通れなくなる、と工事着手の時点で通達がありました。そのため、そこまでに大型車両で搬入すべきものは絶対に終わらせる。それが難しいなら、大型車両を使わずに搬入できるものへ変更する。そうした判断を重ねていきました。

記者

ひとつの判断が全体に影響する立場ですよね。プレッシャーはありませんでしたか。

泉所長

プレッシャーを感じて焦るのではなく、日々の管理を徹底して、現場が進むことだけに集中していましたね。

言葉と時差を越えて。関係者の多さが、いちばんの難しさだった

記者

今回のプロジェクトにおいて、いちばん難しかったことは何でしょうか。

泉所長

関係者の多さです。通常なら発注者、設計事務所、施工者の3者で協議しながら進めます。ところが今回は、発注者がフィリピンの政府機関で、その下にフィリピン側の建設会社があり、私たちはそことの契約でした。さらにプロジェクトマネージャーがいて、設計者だけでも10人以上が関わっています。そこに展示の設計者と施工会社が加わります。

記者

やり取りは英語で行われていたのですか。

泉所長

基本は英語でした。専門用語の認識がずれると施工に直結しますので、通訳の方にも入っていただき、図面と現物で確認しながら進めました。
時差があり、言葉の壁があり、タイムラグもある。こちらの要望がどこまで伝わっているのか、会って確かめることもできない。人を介してしか進められないもどかしさはありました。

待つ、という判断

記者

予定通りに進まなければ、工程を何度も書き直すことになったのではないですか。

泉所長

その通りです。毎週のように書き直していました。工程表を書かなければ計画は立てられませんから書くのですが、その通りには進まない。いろいろなプロジェクトを見てきましたが、これほど日程を組み直した現場はなかったと思います。

吉田次長

その姿を近くで見ていて、所長の粘り強さを感じました。もっと強く主張したほうが早い、という場面もあったと感じます。それでも全体のバランスを見て、相手の事情が整うのを待つ判断をされていた。そこで全体の信頼が醸成されていったのだと思います。

泉所長

相手にも立場があるとわかっていましたから、信頼するしかなかったんです。お互いにリスペクトを持たなければ、関係そのものが成り立たなくなってしまいますから。ギリギリまで待とう、相手を信じよう。そう思ったことが何度もありました。

100社以上が同時に動く、夢洲という現場。自分の敷地の中で、工事を完結させる

記者

会場全体では、どれくらいの会社が同時に工事をしていたのでしょうか。

泉所長

私たちを含めて100社以上です。スーパーゼネコンから地方の工務店まで。皆が好き勝手に動いたら成り立ちませんから、スーパーゼネコン4社が音頭を取り、細かなルールが定められていました。
大事なことは、それぞれのパビリオンが自分の敷地の中で無事に工事を完結させること。周りの施工者様に影響を与えないよう、限られた敷地の中で工夫していく必要がありました。

記者

工期中の会場の実際の様子を教えてください。

泉所長

会場は4つの工区に分かれ、フィリピンパビリオンのある北東工区は大林組JV様が統括しておられました。毎週1回の工事調整会議には30社以上の施工者が集まります。
敷地面積は936.04㎡、それに対して建築面積は603.95㎡です。
敷地の約65%を建物が占める計算です。この限られた土地の中で、人と資材と機材を動かさなければなりません。仮設ハウスの事務所を置く余裕すらなかったので、移動事務室車「Multi Job Car」を導入し、工事の進捗に合わせて空いたスペースへ動かしながら活用しました。メインの現場事務所は、隣の咲洲にある西尾レントオール様の施設をお借りしています。

記者

会場全体との調整は、どんな点が難しかったですか。

泉所長

自分たちの予定が決まらないと、他の施工者様との協議にも行けないんです。「この日にここへクレーンを据えたいので、通行を調整してください」というお願いは、1週間から2週間ほど前にはアナウンスしておく必要があります。急に「明日やりたい」とは言えませんから。自分たちの段取りが、そのまま会場全体の段取りに響いてくる。そこはいちばん気を張ったところでした。

ひとつの現場を、会社全体で支える。横のつながりが、速さを生んだ

記者

これだけ大きなプロジェクトを、社内のメンバーから、どのように支えられていましたか。

泉所長

仕様変更のご相談がとにかく多い現場でした。もともとあったものが変わる、なかったものが増える。しかもご相談をいただくのは直前で、「こうしたい、すぐに条件を出してほしい」というやり取りが週に何度もありました。照明や壁の色合いといった細部まで含めてです。変更に伴う条件を早く整理してお返しするほど、周りの方々も次の判断に進めます。
しかし、さすがに現場だけでは手が回らず、支えてくれたのが本社にいる積算の稲田課長です。毎回の会議に出てもらい、タイムリーに見積もりを出す。おかげでスピード感を持って合意形成まで進めることができました。

記者

淺川組だからやりきれた、と感じる部分はありますか。

泉所長

他社様の体制はわかりませんが、うちは建築部に私がいて、構造設計の吉田次長がいて、積算の稲田課長がいて、営業もいる。何か起きたときに、横の連絡がタイムリーに取れる。相談しやすい距離感がありました。

一人ひとりが、建物全体を見る

記者

社内では、経験の浅いメンバーも含めたチームで臨まれたそうですね。

泉所長

はい。若手のメンバーには会場ルールと車両動線の管理を任せていました。工事の進捗に合わせて動線が次々に変わっていく現場でしたから、本人がまずスケジュールやルールを正確に理解して、それを作業員さんにわかりやすく伝える。そこを担ってもらいました。
大きな組織になるほど、工種ごとに担当は細かく分かれていきます。うちの規模では、一人が何役か担わなければ現場は回りません。裏を返せば、一人ひとりが建物全体を見ているということでもあります。

吉田次長

窓口が分かれていないぶん、判断が早いですよね。今回のように仕様が動き続ける現場では、そこが大きな強みになったのだと思います。

泉所長

営業・設計・積算・現場が同じテーブルで話せる。前例のない構造でも進められたのは、その距離感があったからだと思います。
今回は他社の施工管理者の方々と接する機会が多く、学ぶことも本当に多かったです。同じことをやるにも、会社が違えばやり方が違う。特に安全に対する意識や設備の工夫は、うちでもぜひ取り入れたいと感じました。

開幕の日、そしてその先へ

「やりきった」と思えた瞬間

記者

解体まで含めると、2024年4月の着工から2026年3月末までの長い任期でした。「やりきった」と思えたのは、いつでしたか。

泉所長

開幕の日ですね。2025年4月13日。その場に立ち会わせてもらいました。「間に合った」というより、「しっかり形になったな」という感じでしたね。

記者

ほかのお仕事と違う感覚はありましたか。

泉所長

注目度が違いますから。関係者の数も多いですし、完成物を見に来てくださる方も多い。自分が関わった仕事にここまで社会的な注目が集まったのは、初めてでした。

この仕事に、飽きは来ない

記者

このプロジェクトを通して、ご自身が成長したと感じる部分はありますか。

泉所長

粘り強さでしょうか。もともと気が短いほうでしたが、最近は少し粘り強くなったかな、と思うことがあります。

記者

最後に、泉さんにとって淺川組とはどんな場所でしょう。

泉所長

現場は毎回オンリーワンです。場所も、建物の種類も、敷地の条件も、周りの環境も、お客様も設計事務所も、全部違う。
目的は同じでも、違う条件の上で調整しながら進めていく。だから現場が変わるたびに心機一転になりますし、ルーティンにはならない。考えることが毎回違うので、飽きが来ないんです。工夫ができたときの面白さは、毎回あります。

記者

吉田さんはいかがですか。

吉田次長

泉所長が言われたのと同じで、毎回どこかが違うんですよね。それこそ新しい気持ちで毎回向き合える。そして前の経験がうまく活かせたときは、やっぱり楽しい。「今回はうまくいったな」と。それが励みになります。飽きは来ないですね。毎回、新しい刺激がありますから。

泉所長

フィリピンパビリオンはすでに解体されていますが、淺川組本社ビルのエントランスホールでは、レガシー展が開催されています。それを見に足を運んでくださる方もたくさんいます。現場が終わってからも多くの方々との接点を感じられた現場でした。携わった一人ひとりにとって、記憶に強く残る仕事になったと思います。

終わりに

建設用足場を外観に使う前例のない構造から、100社以上が動く会場での調整まで。決まらない仕様を待ち、工程を何度も組み直しながら、開幕の日にたどり着きました。「間に合った」ではなく、「しっかり形になったな」。

その実感を支えたのは、営業・設計・積算・現場が同じテーブルで話せる距離感でした。現場は毎回オンリーワンだから、飽きが来ない。淺川組の仕事は、次の現場へと続きます。

プロフィール詳細

泉 雄輔(いずみ ゆうすけ)
2007年入社の20年目。大学で建築を学び、地元・和歌山で建築の仕事に携わりたいという思いから淺川組へ。現在は現場所長として、工程・品質・安全・原価の四大管理を担い、現場全体を統括している。

吉田 敏基(よしだ としき)
2002年入社の25年目。大学で土木を学び、地元・和歌山に戻って淺川組へ入社。現在は構造設計担当として、建物の強度を担保する構造設計を担っている。